じゃがいもウマー

ハワイの姉タンから電話、いっぱいおしゃべり。




博士の愛した数式」を読む。案の定涙が出てきて目があつい。ふー。なんだか評判が良い本だなぁと気になってはいたけれど、ふだんあんまり小説を読まないツマタンが実際に読んでみようと思ったのは、ダンナタンの先輩おkぐタンがこんなこと↓を言っていたから。

> この博士からは隣人(=ツマタンのダンナタン!)を連想を連想しないわけにはいかない。彼が歳を取り、自意識や周囲への配慮が欠落したらこんな感じになるのではないだろうか。

むぅ。博士はダンナタンを連想させるのか。そして読んでみてはたして、ツマタンもじつはちょぴりそう思っちゃいました。不遜かな?スミマセン。ちなみにこの博士がダンナタンに似てるかも(^^;)といちばん思ったところは、家政婦サンやその息子ルートタンの発見を大いに誉めてくれるというところ。たとえばツマタンがちょっと早く計算できたとき/たまたまちょっとしたことを知っていたとき、ダンナタンは「すごい!あなたは素晴らしい」と大げさなほどに誉めてくれる。それどころか、数学オンチなツマタンがどんなにオコサマな屁理屈をこねたとしても/音楽無知なツマタンがどんなに的外れな解釈を述べたとしても、ダンナタンはうんざりした顔をしたことなど一度もなくって、「ほぅ!なるほど!」とかいってとりあえずは誉めてくれるのだ。「確かにそうだね」「あなたは目の付けどころが鋭い」「そういう考え方もあるね興味深い」「自分にとっても新しい発見だ、気づかせてくれてありがとう」・・・etcetc.

おかげでなんだか自分が実はなかなかのモノなんじゃないかと勘違いできて、こんなツマタンでも生きてていいんだと思わせられる。ほめてくれるヒトをがっかりさせたくなくて、だからツマタンはあんまりグレないように気をつけるようになった。

ところでツマタン、「ダンナタンが年をとってそのうちボケたら」とよく考える。ダンナタンがボケるなら、シアワセなボケ方をしてほしい。嫌なことは忘れて、始終好きなことだけを考えて、毎日楽しく数学の問題解いたり歴史の本読んだり、とにかく楽しく過ごしてほしい。ツマタンが自分の奥さんだってことがわからなくなってもいいから、「どなたか存じませんが」って言って今読んだ本に書いてあったびっくりするような昆虫の話などを語ってくれたりしてほしい。いつもわくわくしてた子供の頃に戻って、ニコニコして、歌ったりピアノ弾いたりしてほしい。シーチキンご飯にのせてぽろぽろこぼしながら食べてウマーって言ってほしい。おなかゆるくてウンチもらしちゃってもそんなに落ち込まないでいてほしい。・・・ほしい、ほしい、ばかりだナ。




博士の愛した数式」を読んで、ひとつのことを改めて心に誓った。ダンナタンには絶対に車を運転させないこと!